2015/08/12

南相馬での話(2)

8月11日(火)

 東日本大震災から4年5ヶ月目の今日、川内原発の再稼働という皮肉な現実。「収束」も「終息」もしていないほど遠い現状を、どう考えているのか。経済優先で人の命や平和や暮らしが軽んじられる、それこそ日本の良さがどこへ行ってしまったのかと考え込んでしまいます。

 私の子どもたちと同年代の子どもさんがいて、仮設に単身で住んでいる40代のお父さんの話。上が女の子で下が男の子の大学生という点も同じで、部屋にあがらせていただいた上に、「もらったから」と言って桃をご馳走になりました。
持ち主から引き離された小高駅前の
自転車置き場にあるたくさんの自転車

 震災の時に小高区に住んでいて、避難しなくてはいけなくなりました。ちょうど姉が住んでいた飯館村に行き、近所の子どもたちの面倒を見てあげたりして過ごしました。ところが、実は飯舘村の方が放射線量が高いということで、あわてて避難することに。でも、そのころは避難所がいっぱいで大変だったそうです。
 建築関係の仕事をしていたので、会社から出社するように連絡がありました。最初の仕事はガレキを片付けながら遺体の捜索。そして逃げ遅れた(と言うよりどうしようもなかった)牛や豚を地中に埋めること。生きている豚や牛は近くで待機している獣医さんが注射を打って殺処分したそうです。ぴくぴくしている状態の動物たちを次々に埋めて行く。「あんな仕事はしたくない」と話していました。線量の高い地域での枯れ草や植物を集めることもしたそうですが、厳重な防護服と防護マスク、手首足首などはテープでぐるぐる巻きにしたうえで「3時間」という決められた時間の作業で、大変だったと。
 
ところどころにある放射線計


 穏やかに話をして下さるのですが、内容はとても私たちからは想像できないようなことばかりです。彼は「原発は絶対にあかん。放射性廃棄物の処理ができない限り、動かすべきではないし、原発はそこに“ある”だけで、人間にとっては不要なもの」と言っていました。


安全神話を物語っていた時の「標語」




 南相馬市から国道6号線を南下し、福島第一原発の近くを通った時に、車の中でずっと鳴り続けていた線量計の警告音。これは日本に住むすべての人たちに鳴らされ続けている『警告音』だと思ったのは私だけでしょうか。
 

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